①6話


 翌日月曜日、朝。バスの中で遼は、ふと思い出し口を開いた。
「そーだ瀬那、今日部活休みだぞ」
「うん」
 休みなく毎日部活の学校も多いが、武蔵野西高バスケ部は日曜・月曜は「部活動」は休みになっている。
「ま、結局筋トレとか走り込みしてるんだけどな。お前どうする?」
「あ、ごめん俺今日用事ある」
「おう」
 用事があるのならそれはそれで構わない。用具代や遠征費を自分で稼ぐために、日曜か月曜日どちらかにアルバイトを入れている部員もいる。
 まだ四月の半ばだ。クラスや部活で気が合った同士、学校帰りにどこかへ遊びに行ったりすることもあるだろう。
 瀬那が何も言わない以上、幼なじみとはいえ特にプライベートに立ち入ることは無い。遼は「ふぁ」とあくびをすると軽く目を閉じた。


 火曜日。練習の後、週末に控えた練習試合のレギュラー発表がおこなわれた。顧問、コーチからの話の後、背番号順に呼ばれ、ユニフォームを手渡される。
今度の練習試合は、相手校を招いてのホームとなるため、白ベースの淡色ユニフォームだ。
 従来、高校バスケットボールの背番号は4番から18番までを使用する、とされていたが、自由化され、好きな番号をつけられることになった。しかし西高ではこれまでの伝統にのっとり4から18までの番号をつけ続けることにしていた。
「4番、橘。ポイントガード」
「はい!」
 コート上の司令塔、ポイントガード。
 ポイントガードのゲームの組み立て方で、そのチームのスタイルが決まると言ってもいい。
 熱くなりがちだが果敢に積極的に攻めるオフェンス型の遼と、冷静に守り、じっくり丁寧に攻めるディフェンス型の冬伍。武蔵野西高校はこの二人で、必要に応じてポジションを交代で兼任していた。
 名前を呼ばれ、前に出てマネージャーからユニフォームを受け取る。
「武蔵野西 4」の文字。ずっと、キャプテンが背負ってきた番号だ。十二月に先輩たちが引退をしてから三か月と少し背負ってきた4番のユニフォームをぎゅっと握ると、遼はわずかにうつむいた。

 ――重いな。

「5番、秋葉。シューティングガード」
「はい!」
 シューティングガードは、遠くからでも決められるシュート力と、必要とあれば自分で内側へ切り込んでゴールを決めに行く判断力が必要とされる。マイペースで冷静な冬伍にぴったりのポジションだ。
 冬伍はへらっと笑うと「よろしく」と遼の隣に立った。これでまた隣のロッカーだ。メインとなるスタメン候補の五人が呼ばれた後も、今回の試合でベンチ入りをする部員たちの名前が次々と呼ばれていく。
「11番、五十嵐。スモールフォワード」
「はい!」
 得点力の源。内側へ攻め込み、外からもシュートを打てる。すべてこなせるオールラウンドプレイヤーであることが多い。
 瀬那が呼ばれた。しかし、特にどよめきもざわめきも動揺も生まれない。入部してからまだ一週間程度ではあるが、一年生の中でも群を抜いた瀬那の能力は、上級生たちから見ても目を見張るものがあった。
 それに、部内は常に実力主義だ。一年生も三年生も関係無い。前の試合でレギュラーであっても、次の試合でレギュラーに入れるとは限らない。それは、誰もが嫌と言うほど分かっていた。
 ここから、週末の練習試合、それから関東大会までは、レギュラーをメインとして実戦形式を中心に練習をおこなっていく。
「それでは、今日はこれまで」
「ありがとうございました!」
 うえー吐きそう、今日もキツかったなと笑いながら部員たちはそれぞれに帰り支度を始めた。
「瀬那」
 遼が、一年生たちと一緒にその場で着替えを始めた瀬那に声をかけた。
「お前、今日からロッカーだ」
「あ、そっか」
 レギュラーにだけ用意された、部室の十五個のロッカー。分かりやすい弱肉強食の図だ。瀬那は荷物を持つと遼の後を追った。
 運動系の部の部室棟は、どの部にも行きやすいように体育館とグラウンドの間に建てられている。バスケ部の部室は一階。二階に比べれば風通しはよくないが、他の部のように全員でぎゅうぎゅう詰めになって使っていない分、快適だった。
「チームジャージは月末くれーだから、まだしばらくは制服で登下校だけどな」
「うん」
 遼と瀬那が部室のドアを開けようとすると、中から部員が三人、乱暴に制服を突っ込んだエナメルバッグを肩から下げて出てきた。三人がドアの前で振り向き、部室の中をびしっと指差してぎゃんぎゃんと怒鳴る。
「すぐ戻るからなあああ!」
「おー戻ってこいや」
 今日は制服で帰るのか、着替え途中で上半身裸の冬伍がへらりと手を振っている。
「よう、レギュラーおめでとう」
「11だろ、空けといたけど汗臭いからな、はは!」
 三人は、げらげらと笑うと瀬那に軽く体当たりしながら去って行った。瀬那は目を丸くして言った。
「さっぱりしてるんだね」
「いつものことだからな」
 ベンチ入りメンバーに選ばれなければ即ロッカーをあけ渡す。しかしそこに自分がいたという証明は残したい。4から番号が振られたそれぞれのロッカーは、扉の表にもそして中にも、自分を主張するようなシールや落書きでいっぱいだった。
「お前はここだ」
 遼は「11」のロッカーを開けると「あのヤロウ」と極端に顔をしかめた。
「どしたの」
 遼の後ろからひょいとロッカーの中を覗き込んだ瀬那はぎょっとした顔になった。扉の内側に、雑誌のカラーページなのだろう、半裸の女性のグラビアページが貼られていた。ベタに「うっふん」とマジックペンでセリフが落書きされている。
「小学生か!」
 遼は顔を赤らめると勢いよく紙をはがした。そのまま床に叩きつけようとしてぴたりと手を止める。
「遼ちゃん、どしたの?」
「……紙とはいえ、女に手ぇ上げるみてえなことはできねえ」
「きゃあああああかっこいい!」
「冬伍好きになっちゃう!」
「お前らまじでシメるぞ!」
 遼は真っ赤になって冬伍に紙を押し付けると、自分のロッカーを乱暴に開けてジャージを取り出した。
「純情だねえ」
「うっせえ!」
 冬伍は紙を自分のロッカーにぺたりと貼り付けると、それを眺めながらネクタイを緩く締めた。
「すげーおっぱいじゃん。俺好きだけどな」
「俺も」
「ふん」
 女性に興味が無いわけではないが、どちらかというと「めんどくさい」が先に立つ。それよりも今はバスケが楽しいし、男同士でつるんでいる方が楽だ。
 着替え終わった部員が、ブレザーに袖を通している瀬那の肩に腕を回すと、にやにやと笑いながらスマホの画面を見せた。
「五十嵐はどーよ、こういうの」
「あ、はい! ……えーと俺は」
 瀬那は困り顔になり、助けを求めるようにちらりと遼に目をやった。
「おい、瀬那にヘンなこと教えんなよ」
「親か」
「過保護」
「モンペ」
「ああ?」
 貸せ! と遼はスマホを奪うと画面を見た。18歳ギリギリのきわどいサイトが表示されている。
「わ!」
 遼は焦ってぎゅっと目を閉じるとスマホを突っ返した。
「橘お前絶対童貞だろ」
「童貞」
「童貞」
「卒業手伝ってやろうか」
「てめーらぜってー俺のことおちょくってるだろ!」
 瀬那帰るぞ! と怒鳴ると遼は、瀬那の腕を引っ張り部室を出た。


 いつもどおりまばらに空いたバスの座席にどかっと腰かけると遼は、腕を組み不機嫌に口を開いた。
「ったくあいつら嘆かわしいな」
「遼ちゃんはああいうの好きじゃないの?」
 瀬那は荷物を膝に置くと、首を傾げてきょとんとした顔で尋ねた。
「別に、特別嫌いなわけでもねえよ。ただ今はめんどくせえってだけだ」
「女の子が?」
「そうだな」
 好きだ嫌いだ惚れた腫れた。
 練習試合や公式の試合に、レギュラーの誰かの彼女が応援に来ることはあるし、部室で着替えている時にそういう話をすることもある。冬伍にはどうやらああ見えて片思いの相手がいるらしいし、そういう意味では「バスケットと恋愛の両立はできない」と一刀両断にもできない。
 ただ、きゃあきゃあと騒ぐ女子の相手をするなど、今の自分には到底できそうにはない。
「じゃ、別に好きな子とかいないんだ」
「いねえな」
「そっか」
 瀬那はへへっと笑うとバッグにぽすりと顔を埋めた。
「お前はどうなんだ」
「俺?」
「そういうことに興味あんのかって」
「うん」
 瀬那はバッグから半分顔を上げると遼をじっと見つめ、表情を変えずに呟くように答えた。
「好きな人、いるよ」
「そうか」
 瀬那は小さい頃、人形のようだと女子に囲まれることもあった。そのたびに怯えて自分の後ろに逃げてきたものだったが、大人になったということなのだろう。この顔とスタイルだ、中学時代にそれなりに女子慣れをしたのかもしれない。
 九州時代から引きずっているのか、それとも高校に入学してから惚れた相手なのか。
 ほんの少し寂しいが、もういつまでも「守ってやっていた小さい瀬那」ではないということだ。
 遼は腕を伸ばすと、瀬那の頭をぽんぽんと叩いた。
「ま、頑張れよ」
「うん」
 もうすぐ降りるバス停だ。遼はチャイムを押すとガラスに寄りかかり、頬杖をついて窓の外を眺めた。
 じき、バスが停留所に停まった。いつもどおりタンタンと軽い足取りでバスを降りると遼は瀬那に声をかけた。
「瀬那、ちょっとコンビニ寄ってこーぜ」
「コンビニ?」
「レギュラー祝いだ、何かおごってやるよ」
 500円までな、と遼は笑うと瀬那の手を引きコンビニに入った。

 から揚げ、コロッケ、それからペットボトルのカフェオレ。しめて450円。
「へへ、遼ちゃんありがと大好き!」
「どーいたしまして」
 二人は、コンビニから家までの間にある、小さい頃によく遊んだ公園に立ち寄った。鉄棒、砂場、ブランコ、滑り台。大きな木と住宅に囲まれたこの公園は、日が落ちれば周りの家から漏れてくる灯りでほんのりと遊具が照らされる。ここで、毎日暗くなるまで一緒にバスケットボールの真似事をした。
 瀬那はブランコに腰かけ、「いただきまーす」とまずはコロッケにかぶりついた。ちょうど揚げたてだったこともあり、サクッと音がした。
「あっつ!」
「気い付けろよ、焦んな」
 遼はふはっと笑うと自分用に買った炭酸ジュースのペットボトルの蓋をひねった。監督から「日常的に炭酸の清涼飲料はあまり口にしないように」と言われているが、こればかりは仕方がない。
「お前そーいうの昔っから好きだよな」
「うん、大好き」
 ふうっと息を吹きかけて冷ましながらから揚げとコロッケを食べる瀬那に、自然と笑みがこぼれてくる。夕飯前だが、このくらいの量であれば差しさわりは無いだろう。
「そんくらいだったら腹いっぱいにはなんねーだろ。帰ったら、何か好きなもんおばさんに作ってもらえよ」
「あ、……うん」
 自分も高校に入って初めてレギュラーになった日は、わがままを言って大きなハンバーグを作ってもらった。一年生の初めからレギュラーだったわけではない。二年生の春のことだった。母は「もうご飯作っちゃったわよ!」と言いながら嬉しそうに玉ねぎをみじん切りにしていた。
 瀬那の母も確か料理は得意なはずだ。もう夕飯の支度はしているかもしれないが、少しくらいわがままを言ってもいいだろう。
 遼は「よっ」と軽く体重移動をさせてぎいぎいとブランコをこぐと、その勢いのまま飛び降りた。
「明日からは試合形式だからな。対戦相手になったら容赦しねえぞ」
「うん」
 遼は瀬那の目の前に立つと、腰に手をあてて瀬那を見下ろした。ごくんとカフェオレを飲んだ瀬那が、上目づかいに視線だけで見上げてくる。
 昔はこんな角度だった。成長が早く、体が大きい方だった自分と、細くて小さくて頼りなかった瀬那。
「遼ちゃん」
「あん?」
 瀬那は座ったまま手を伸ばし、遼の腰を静かに抱き寄せた。そのまま臍の辺りにぽすりと顔を埋める。
「あっは、何だよ瀬那」
 腰に顔を埋めたままじっとしている瀬那の頭を、遼はぽんぽんと叩くように撫でた。
「……遼ちゃん、大好き」
「ん?」
 やけに掠れた声だった。
「どした、瀬那」
「遼ちゃん、大好きだよ」
 瀬那の腕の力が強まった。ぎゅ、と音がするほど強く腰を抱き寄せられる。
「大好き」
「おう」
 サンキュな、と遼は瀬那の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「お前単純だな、たかがコンビニくらいで」
 遼は、まだぎゅうぎゅうと自分の腰に巻きついている瀬那の腕を軽く叩くと「ほら行くぞ」と声をかけた。瀬那は遼から腕を離すと立ち上がった。
「俺んち多分夕飯回鍋肉だわ、そんな気ぃする」
「……うん」
 公園の中は薄暗く、静かに答えた瀬那の表情は見えなかった。

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